プロフィール

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プロフィールをご覧いただき
ありがとうございます。
私がどんな人生を歩んできたのか、
お話したいと思います。

 

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では、My Storyの始まり始まり・・・

 

+++++++++++++++

 

公務員の父、先生をしていた母との間に
一人っ子として生まれました。

 

共働きだったため年少さんの途中から
保育園に入りました。

 

保育園では、

・好き嫌いが多くて泣きながら給食を食べた
・車酔いが激しくお迎えが車の時には必ず嘔吐
・お昼寝が苦痛で仕方ない

とあまり良い思い出はありませんでした。

 

それでも保育園生活にも徐々に慣れていきました。
車酔いは治りませんでしが・・・

 

卒園前には「おとなになったら」というテーマで
絵を描かなければなりませんでした。

 

保育園児にして特になりたいものもなく、
となりのお友達のまねをして、
「ほいくえんのせんせい」
と絵をかいていました・・・

 

あまり自己主張をする子どもでは
なかったと思います。

 

どうしてこんなにも
「自分がない子」
になったのか?
思い当たることがあります。

 

母は教室をしていました。
今でいうとフリーランス
というのでしょうか。

 

私はいつも教室に一緒に連れていかれていました。
近くに祖父母がいたわけではないので、
預け先もなく連れていくしかなかったのでしょう。

 

教室の間、私は幼心に
「母や生徒さんに迷惑をかけてはいけない。」
と思っていたので、お絵描きをしたりして
「おりこうさん」にしていました。

 

母にとっては私はおとなしくて、
扱いやすい子どもだったと思います。

 

生徒さんから
「おりこうさんね」
と言われたので
「おとなしくしていることが正解」
と思っていたのです。

 

++++++++++++++++++

 

私は一人っ子だったので
とても大事にされてきました。
産前産後の母の育児日記は
とても細かく書かれていました。

 

ミルクをいつ何cc飲んだか、体重・身長
細かすぎるぐらい細かく書いてありました。
産まれたときからの写真もたくさんあり、
アルバムは数十冊もありました。

 

大切にされているはずなのに、でもどこかで
「私は必要ない子なんじゃないか?」
と思っていました。
そう思う出来事があったからかもしれません。

 

何歳の頃か覚えていないのですが・・・
私がおそらく、3歳、4歳の頃だと思います。

 

ある日、母が一人で仕事のために海外出張へ行きました。

 

父も仕事があるため
私は家に帰ることはなく託児所に預けられました。

 

5日間だったのか、1週間だったのか
はたまた2週間だったのか・・・
何日間預けられていたのかは覚えていませんが、
とてつもなく長く感じました。

 

お友達は毎日パパやママがお迎えに来ます。
毎日毎日、帰れないのは私だけ。

 

「今日はきっと迎えに来る!」
お迎え時間が近づくと、ドアを見つめていました。

 

でもドアから入ってくるのは、お友達のパパやママ。

 

違う・・・また違う・・・今度こそ・・・

 

そんな日が何日も何日も続きました。
私捨てられたのかな?
もしかして何か悪い事したのかな?
何がいけなかったの?
もっともっとおりこうさんにならないとなの?
小さな私は色々考えていました。

 

今日はお迎えにくるのかな・・・

 

毎日毎日お迎え時間になると
不安で押しつぶされそうでした。

 

このことがきっかけかはわかりません。
でも、1人になるのは怖い。
考えなくても良いこと、
気にしなくてもよいことまで考え
どんどん不安になるようになっていました。

 

そして捨てられないように
1人にならないように
「いい子」でいようと思いました。

 

+++++++++++++++++

 

私は保育園の頃からスイミングスクールに通っていました。
見学したその日にやりたい!
と言ったのを今でも覚えています。

 

本当に泳ぐことが大好きでした。
練習が厳しいこともありましたが
プールに入れば気持ちがすっきりしました。
もしかしたら、前世は海の生き物かもしれませんね。

 

ある日そんな大好きなスイミングに
いけなくなってしまいました。
足を骨折してしまったんです。
しかも2回も。

 

1回目は学校で鉄棒で遊んでいた時。
2回目は家族でスキーに行った時でした。
母は休憩していたので、
私はひとりで滑りに行きました。
リフトで頂上に上がるころには
霧が立ち込めていました。

 

嫌な予感がしたんです。

 

周りはどんどん白くなっていく
人もいない・・・
立ち入り禁止の看板。
行っちゃいけないとのに
そちらへ滑って行ってしまいます。

 

崖が迫っている手前で転びましたが、
足がありえない方向に向いていました。
外れるはずのスキー板が外れなかったんです。

 

周りは白いし、滑っている人もまばら。
助けてとも言えず、
「あ、私このまま死ぬのかな・・・」
って本当に思いました。

 

幸い滑り降りてきたおじさんに
声をかけられました。
「レスキュー呼んでくるから!」と
助けてもらいました。

 

2度目の骨折。
今度は反対の足でしたが、
ほぼ同じ箇所を骨折しました。

 

この頃、父と母の関係は
あまりよくなかったようです。
スキーから家に帰った時、
父と母の間にはなんとも居心地の悪い
険悪な空気がただよっていました…

 

+++++++++++++++++++

 

骨折はしていても学校には毎日通っていました。
学校は楽しかった記憶があります。
そんな時にやってきた転校生のあの子。

 

彼女は転校してきたばかりで
ストレスがたまっていたのか、
それとも私が何かをしたのか・・・

 

「なんであんただけ楽してる?」
骨折して足が不自由な私に
容赦ない攻撃をしてきました。
乱暴な彼女にクラスメイトは反論するどころか
みんな味方になっていました。

 

ある日、
私の上履きを隠されました。
次はリコーダーを隠されました。
その次は教科書がゴミ箱に捨ててありました。

 

転校してきたばかりの彼女にも、
色々なストレスはあったはず。
でも、その頃の私には彼女の気持ちを
理解することはできませんでした。

 

ただ、ただ、距離を置くことだけを
考えていました。

 

先生に相談しても頼りになりませんでした。
私は男子に助けてくれとお願いし、
男子と遊んでいました。

 

男子にはめんどうなグループ
というのがなく、
本当に気楽でした。

 

私はもともと女の子っぽい遊びも、
女の子らしい服も
あまり好きではありませんでした。
レースフリフリとか絶対無理でした。

 

トミカもいっぱい持っていたし、ラジコンが欲しい、
5段変速の自転車が欲しいって思ってました。

 

あ、でも自分を男の子だとは
思ってないですよ。

 

男の子に生まれてくれば良かったとは
思ったことはありますけど
ちゃんと?恋愛対象は男子です。

 

この2回の骨折のおかげで、
大好きなスイミングを
長期間お休みすることに。

 

学校でも家の中でも嫌なことばかり。

 

そしてまたまた、衝撃的な事件が・・・

 

+++++++++++++++++++

 

小学4年生のある日を境に
父は家に帰ってこなくなりました。

 

大好きな父がいなくなったことは、
ショックすぎてよく覚えていません。

 

離婚したと母から言われました。
両親の離婚・・・

 

説明もなく突然消えた父。
いなくなった理由を何も言わない母。

 

私の頭も心もぐちゃぐちゃでした。
泣いていたのかも覚えていません。

 

離婚理由は大人になってから聞きました。
父の借金が原因だったようです。

 

母はとても教育熱心でした。
私を「ちゃんとした子」に育てたかったのでしょう。

 

父親がいなくても「ちゃんとした子」
母も一生懸命だったと思います。
自分が親になった今なら、それも理解できます。

 

シングルマザーで
子どもを育てていくのは
大変だったと思うのですが、
私は中学受験することになりました。

 

新しいことを勉強できるのは楽しかったし、
全然苦じゃなかったんです。

 

でも受験で嫌な思いをしました。
第一希望の学校の集団面接で、
「お父さんは?」と聞かれました。

 

忘れかけていた嫌な気持ち。
みんなの前で、
「母は離婚したので、父はいません」
と言いました。屈辱でした。

 

最悪じゃん…
はずかしい
くやしい
なんで?なんで?
みんなの前で言わなくちゃいけないこと?

 

当時は離婚なんてまだまだ珍しかったと思います。

 

第一志望の学校は不合格でした。
ほかにも数校受けましたが、ぜんぶ不合格・・・

 

あんなに勉強したのに!
あんなにがんばったのに!
塾の先生も大丈夫って言ってのに。
親の離婚のせいで私は落ちたんだ。
父親がいないからだ。

 

私は全部母のせいにしました。
最低です・・・

 

そして、そんな風に思う自分が
嫌いになっていきました。

 

自己肯定感も下がりまくりでした。
自分の全てが嫌いでした。
自分のいる環境も嫌いになりました。

 

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中学受験に失敗した私は、
小学校の友達と同じ中学に行きたくない
というつまらないプライドで
違う学区の中学校へ入学しました。
今思うとリセットしたかったのかもしれません。

 

中学で始まった英語の授業。
小学生の頃、英会話教室に通っていたこともあり
教科として勉強するのも新鮮でした。

 

中学1年生の担任は英語の先生でした。
授業がとても楽しかったです。
カーペンターズの歌を使って、
わかりやすく説明してくれたり
授業時間があまれば、
トップガンやバックトゥザフューチャーなどの
ハリウッド映画を見せてくれたりしました。

 

そこで触れた
「アメリカ」
「英語」
私はあこがれを抱きました。
とにかくアメリカ行きたい!
って思っていました。

 

同級生にアメリカで生まれの子がいたんですが、
「20歳になったら、国籍選べるの」
と彼女が言っていたのが
うらやましくてしょうがなかったんです。

 

彼女は教えてくれました。
「アメリカの永住権は抽選だよ」
抽選!?
抽選でアメリカ人になれるの!?

 

無知な中学生の私はアメリカ人になる!
とグリーンカードの資料を
どうにかして取り寄せていました。
こういう行動力はあるみたいです。

 

洋楽を聞きいたり、洋画をみたり、
SCREENというハリウッドスターの雑誌
も読んでいました。
妄想はどんどん広がって、
アメリカ人と結婚してハーフの子を産むんだ!

 

って本気で思ってました(笑)

 

++++++++++++++++++

 

頭の中がUSAな頃
またまたショックなことが・・・・

 

ある日学校から家に帰ると、
玄関に男物の靴がありました。
そこにいたのは父・・・

 

突然いなくなった父。
母は連絡を取っていた?
なんでいる?

 

パタン・・・

 

訳が分からず
そのままドアを閉めました。

 

そのあとどうしたのか
どう家に戻ったのか
母を問い詰めたのか
全く覚えていません・・・

 

そんなことがあっても、
「おりこうさん」だった私は
グレることもなく、
超真面目に学校にも部活にも行ってました。

 

ただますます感情を表に出すことが
苦手になっていました。

 

高校、大学では「クールだよね~」と
よく言われるようになりました。
ぜんぜんうれしくない誉め言葉でした。

 

金髪にでもなっておけば、
もう少し感情表現も上手くなってったかも!?

 

でもそんな勇気もありませんでした。
やっぱり「母に迷惑かけちゃいけない」
って思ったんでしょうね。
それとも単なる根性なしなのか。

 

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私には兄弟姉妹がいなかったのと、
離婚したことで父がいなくなり、

 

「両親と子どもが2、3人いる家庭」

 

がいつしか理想になっていました。
幸せな結婚がしたい!
それが目的になったのです。
早く結婚して若いママになりたい!
それが憧れになっていました。

 

そんな時に出会った、モラ夫。

 

付き合っている頃から違和感はありました。
突然不機嫌になることも・・・・
でも、優しいところもある。
男らしいところもある。

 

半ば自分に言い聞かせてました。
家を出たいという気持ちも大きかったのもあります。

 

モラ夫は当時東京で一人暮らしをしていましたが、
地元に帰るのは決まっていました。
私はモラ夫と一緒に東京を離れる決心をしてしまいました。

 

それが悪夢の始まりだとも知らずに・・・・

 

+++++++++++++++++++

 

結婚当初はもちろんモラ夫ではなく普通の夫でした。
義母からの嫌がらせからも守ってくれました。

ですが、第一子妊娠出産、第二子妊娠出産、
マイホーム購入、第三子出産・・・・
年月を経ていくごとに、

・無視
・暴言
・暴力

がひどくなりました。
なぜ始まるのか理由もわからず、
地雷がどこにあるかわかりません。

 

反論するのも怖いので、
「私さえ我慢すればいい。」
そう思っていました。

 

それでもストレスはたまります。
女性専用のネットの掲示板をのぞいて
不倫・借金・犯罪・お酒に悩む書き込みを見ては
「まだマシだ、うちはこんなひどく無い・・・」
と気持ちをやり過ごしいていました。

 

私が母子家庭で育ったこともあり、
「子どもには両親が必要。」
その思いにすがりつきました。

 

ネットで「モラハラ」という言葉を見つけた時は
当てはまることばかりで涙がでてきました。

 

それでも離婚と言う考えにはならず、
原因がわかれば対処もできる。
なんて考えていたんです。

 

++++++++++++++

 

モラハラと言う言葉を知って
気がつけば10年以上経っていました。

 

原因がわかっていても、もう無理でした。
モラハラはひどくなるばかりでした。
今思えば子ども達にも
影響が出ていたんだと思います。
学校で問題行動を起こしましたし、
不登校にもなりました。

 

私は消えたいとも思っていました。
でも、子ども達を置いて死ねない。
経済的な不安と
父親がいないことで
嫌な思いをするのではないかという不安で
離婚には踏み切れなかったんです。

 

++++++++++++++

 

とうとうモラ夫は子どもの夢も壊す
最悪最低な言動をおこしました。
今まで我慢していた事も限界になっていました。

 

「こんな人と我慢して一緒にいても
何もいいことはない!!!!!」

 

思い切って別居に踏み切りました。

 

私自身母子家庭で育って、
嫌なこと、寂しいこともありました。
でも、夫のモラハラは子ども達にも私にも
悪影響でしか無いとようやく気がついたんです。

 

+++++++++++

 

別居して精神的に本当に楽になりました。
くだらないことでも笑えるようになりました。
ビクビク怯えることもなくなりました。

 

Twitterを始めて驚いたんですが
モラ夫に悩んでいる妻達が多い!

 

なので、このブログを通じて
私の経験を伝えられたら
今モラ夫で悩んでいる妻達の助けになるのでは?
と思ったんです。

 

私の経験が少しでも
あなたのお役に立てれば嬉しいです。

 

ここまで、長い長い私のプロフィールに
お付き合いいただき、ありがとうございました。

 

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離婚して

モラ夫からの華麗なる脱婚

成し遂げたいと思います!